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(4) 小雁塔の神合
小雁塔の歴史の中で、ある不思議な現象が起きました。1487年の大地震で、小雁塔の中央に上から下まで一条の亀裂が入り、一尺余り開きました。亀裂は厚い壁を貫通し、往来する人が見えたといいます。そして、34年後の1521年にまた地震があって、一夜のうちに亀裂が閉じ合わさり、元に戻ったというのです。人々はこれを不思議に思い、“神合”と呼びました。神が合わせたという意味です。1551年に王鶴という名の役人が薦福寺に投宿し、住職からこの話を聞きました。これを聞いた役人は驚き、その内容を小雁塔北側入口の横木に刻みました。今は、この話が石碑(王鶴の碑)に題記されています。
710年建立 | 1487年の地震 | 1521年の地震 | 神合の碑文 |
神合の心象 |
小雁塔は1965年に修復されていて、今は亀裂を確認することはできません。写真は今から100年余前に撮影されたものです。写真から、3層の窓から上方に向かって中央縦一直線に走る亀裂を確認できます。3層以上は窓アーチの楔型煉瓦が落ちていますので、少なくとも3層までは亀裂が開いたことになります。2層も窓の上に亀裂の影らしきものを確認できます。1層も軒の中央上部が損傷しているのを確認できます。時期的には後述する三裂三合の復合状態ですが、5層から上の層では窓の直上に隙間が認められ、亀裂面も次第に傷んできたものとみられます。
写真は、ドイツ人の建築家べーシュマン(Ernst Boerschmann)が1906-1909 年に撮影し、1923 年に出版した写真集 Baukunst und Landschaft in China(中国の建築と景観)のものです。鮮明度が非常に高く、磚の一個一個を確認できるほどです。
地震で亀裂を生じて開いたままとなり、次の地震で亀裂が閉じて元の状態に戻る現象(それぞれ“裂開”、“複合”と呼ばれている)は、神合の後も何回かあったようです。記録によりますと、1556年の地震で裂開し、1563年の地震で複合し、次に1691年の地震で裂開して1722年の地震で複合したといいます。初回の神合と合わせ、“三裂三合”と言われることがあるようです。1932年の地震で亀裂の損傷度が増し、これを加えて“四裂三合”と言うこともあるようです。
薦福寺は清代の1670年から1692年にかけて最大規模の補修・建替が行われました。補修・建替後の薦福寺の全景を描いた薦福殿堂図(碑刻)を見ますと、小雁塔には亀裂が入っていません。清代の薦福寺が鳥瞰図で描かれた別の殿堂図を見ますと、小雁塔に亀裂が入った様子が写実的に描かれています。描かれた2つの小雁塔は、それぞれ1691年の地震前後の、複合と裂開の状態の時のものであったとみられます。両小雁塔とも、塔頂はなくなっていますが、塔身は15層まで描かれていて、上2層はまだ原形をとどめているようです。1907年の写真では崩れていますので、上2層の崩壊はこの間に起きたものとみられます。原因としては、むき出しになった天端に雨水が溜まり、目地部に浸透して凍結、融解し、磚が剥がれたことなどが考えられます。
孔正一編著 西安小雁塔(1)より |
孔正一編著 西安小雁塔(1)より。部分拡大 |
薦福殿堂図(碑刻)の小雁塔 | 薦福寺殿堂図(鳥瞰図)の小雁塔 |
これらの故事、碑刻、絵図、写真等を参考に小雁塔の裂開と複合の歴史を図表にしますと、次のようになります。
小雁塔の裂開と復合の歴史
神合の時はきれいに閉じ合わさっていた亀裂面も、風化と地震時の干渉によって、次第に傷みが増してきたようです。
中国では1961年に全国重点文物保護単位(日本の国宝に相当)の制度ができ、大雁塔、小雁塔ともに最初に指定されました。
小雁塔は、全国重点文物保護単位に指定された後、国家の資金援助を得て、1964年に本格的な修復工事が行われました。塔刹、塔頂の復元は行わず、損壊した様子が残され、煉瓦は1つ1つ落ちないように固定されました。天端は塞がれ、雨水の排水工事が行われ、避雷針も取り付けられました。風雨にさらされていた天端近くの内側煉瓦は風化の様子が残されています。各層の檐は建設時の美しい姿に復元されましたが、四隅は損傷した様子が残されています。塔身表面(化粧面)の煉瓦組みは、整然としつつ躍動感があり、大変美しい積み方です。檐は方形の煉瓦を用いて持ち送りにされているようで、外観は長手積みになっています。中には階段が設けられ、天井の小さな開き戸から屋上に出ることもできます。傷んでいた基壇も修復されました。荘厳な小雁塔が、1300年の歴史の重みを損なうことなく、美しい姿で蘇りました。
修復に際しては、補強のため、2層、5層、7層、9層、11層に鋼輪が嵌められました。磚と同じ色に彩色されていますので、目を凝らさないとよく分かりません。
小雁塔の修復と補強(1964年)
大地震に遭遇すると縦列に窓を有する壁の中央縦方向に亀裂が入り、その後の地震で亀裂面の損傷度を増すのは、古代の磚塔に共通して見られる現象のようです。小雁塔の神合の現象の解明は、小雁塔のみならず、その他の多くの古塔について、補強の有効性を確認し、あるいは有効な補強方法を考える上で大切なこととなります。
1907年に撮影された小雁塔の写真を見ますと、中央縦一直線に入った亀裂を確認できます。しかし、水平方向のせん断力によって斜めに亀裂が入ったり、曲げモーメントに基づく上下方向の引張応力によって横方向に亀裂が入ったりすることはあっても、縦に亀裂が入り、幅1尺余の隙間を生じることは、一般の煉瓦組積造構造物の常識では考え難いことです。亀裂の状況からして、縦方向のせん断力で割れたとも思えません。
外観から受ける印象から、小雁塔が剛体としてロッキング振動を起こし、鉛直方向に生じたせん断力で窓間の煉瓦が崩れて塔身が2つに分離し、振動する基壇上で2つの半割塔身が紙相撲のようにぶつかり合い、くっついたり離れたりしたのではないかと、途方もないことまで考えましたが、写真を見て、この考えは脆くも崩れ去りました。
2008年の四川大地震では、震源地に近い四川省都江堰市に立っている奎光塔が被害を受けました。被害状況は中国国家文物局より公表されました。亀裂の状況から重要な手掛かりが得られ、仮説を立てながら種々検討した結果、思いもよらぬ現象が浮かび上がってきました。私の知る限り、他に類例がありません。地震時にこの現象が起きたとしますと、小雁塔固有の構造と合わせ、神合、三裂三合の一連の現象を説明することができます。